最近思うのだが、例えば那智の滝の音がネットで、しかもリアルタイムに、
もちろんオーディオ装置を通してだが聞けたと仮定しよう。
自分自身は、滝口からほとばしり出るように水が落ちる情景や、滝つぼに落
ちる際のさまざまな音を聴いた経験があるので、そんな生音の中継があった
場合、その音を聴くとどのような感情が醸成されるのだろうか?などとばか
くさいことを考えてしまった。
また仮に、映像を伴ったリアルタイムの中継が同時になされていて、音だけ
の配信はCD音質とか言うリッチなものではなく、モノラルでしかも帯域はそ
れほど広くなく、ダイナミックレンジも狭い。
映像のほうはといえば、これはもうHDTVそのものだし、音声も5.1CHかなん
かで豪華絢爛かつ忠実映像再現かつハイ・フィデリティーみたいな大サービ
スをかましているとする。
さあ、さあお立会い!
どっちに軍配を上げますか?
ターンテーブルにお皿を乗せて、チューブアンプで聴くチャーリー・パーカ
ーと、SACDで聴くマイケル・ブレッカー!
ありゃ、こりゃーまったく履き違えのたとえ話になっちゃいましたが・・・
もうしわけござんせん m(__ __)m
言いたかったのは、解像度を上げたりとか、忠実度を上げたりとかしていく
ら入力の情報量を多くしていってもあんまり意味がないんじゃあっつうか、
むしろ本当に感じているところ、う〜ん、なんちゅうか入力センサじゃない
ところっちゅうか、なんかどっかとしか言いようのないどっかに響かないん
じゃないかな、なんて思う今日この頃なんです。
なんか違ってるような、パッパガンダっぽいのにやられて、画面は大きけれ
ばいいみたいな、音はバーチャル劇場みたいな、超サラウンドで・・・
それもいいかもしれませんがね
じゃあっと、
あなたの大切な
想像力は
あなたから乖離して
どっか、行っちゃうかも!
ヤバイぞ (@__@)
ってんで、
今日もまたお皿を廻した僕です (^__^)
ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37
フリードリヒ・グルダ(Pf)
ホルスト・シュタイン指揮 ウイーン・フィル
(ベートーベンピアノ協奏曲全集/LONDON RECORDS K.K.)