歌いながら聴きながら浜辺をスロージョグする爺さんのブログ

ジョグりながら一人カラオケそして飽くほどに聴くアルバムはジャズをメインにPOPS、J-POP、クラシックなんでもかんでも!v^O^v!

最初のコードは何で書いたんだったっけね


最初のプログラムコードをどのプログラム言語で書いたかによって、その後
のその人のプログラムとのかかわり方が違ってくるような気がするのですが
どうですか、あなたはどう?


私は技術屋だったので、FORTRANが最初に使ったプログラム言語です。その
ころ会社の先輩たちは、カムの形状計算などにFORTRANを汎用機で使ってい
たのを覚えています。


それで私も特に目的はないのに、FORTRANで単なる計算をさせてそれを出力
する簡単なプログラムを書いて遊んでいました。今から考えるとCPUタイム
でチャージされるIBMの汎用機で、FORTRANの学習をしていたことになります。


1970年代の終わりごろ頃の話で、FORTRAN 77をIBMの3009(確か)とかいう大
型機でバッチで使いました。プログラムをシートに手書きしてパンチャーの
お姉さん(花のOL)にパンチしてもらって、JOBを切り翌朝までひたすら結果
を待つ。そんなことの繰り返し・・・


朝一番でプリンタ室に行き自分のJOBの結果が出力された、その後使い切れ
ないほどのメモ用紙に変身するであろう何百ページにもおよぶ紙の束を見て
呆然とする毎日でした。


Syntax Error .....
Syntax Error .....
Syntax Error .....
..................
Oh My GOD!


そんなふうにして何とか自作プログラムを走らせることができるようになっ
たころ、米GEの汎用機を音響カップラを使って電話回線(公衆回線)経由で端
末で使うサービスに出会いました。


なぜそんなことまでしてアメリカにある汎用機をTSS(Time Sharing System)
で高いお金を払って使ったのでしょうか?


それは現在のCADの走りのようなものがあったからなんです。


といっても今から考えればただ単に円を画いたり線を引いたりするだけなの
ですが、とにかくコンピュータを使って製図できるという当時としてはもう
夢のような、それだけで心躍るような話だったのです。


当時の汎用機の端末はほとんどがテレビと同じラスタスキャン方式による表
示でしたので、円を画いたり線を引いたりする現在ではなんということのな
い簡単なことなのですが、汎用機を使って安くうまくそれをやる方法がなか
ったのです。


とにかくメモリなんてものが無い時代なわけですから現在のように豊富にグ
ラフィクス用のバッファを持つなんてことは夢のまた夢だったのでした。


そんなとき、テクトロニクス社が蓄積管なる表示用チューブを開発し、管面
に直接描画痕を残してしまおうなんて恐ろしいことを考え実用化しちゃった
んですね。まあ簡単に言うと、いったん画くとずっと光ってるわけです。管
面自身がメモリって訳です。


このテクトロのグラフィクス端末を使って、FORTRANで絵が描けるPLOT-10と
いうライブラリが米GEにあって(?)それをTSSで使ったってわけです。


そりゃーもう、面白いのなんのって、今から考えるとちゃっちいですが、天
国にものぼるここちよさでしたね。そのときの報酬系への刺激が私にとって
はプログラムすることは心地よいことだという刷込みになっています。


そういう意味では最初に書いたようにどのプログラミング言語を最初に使う
かということが大事なのではなくて「自身が最初に書いたプログラムコード
を、”走らせる”というプロセスの中でどのような快感を味わうことができ
たのか」ということが、その後のプログラム人生を決定付けるということの
ほうが重要なのでしょうか。


うーん、たとえは悪いですが、ダイビングのライセンスをとるための海洋実
習がボートダイビングだって、ひどくボートに揺られてお魚さんに餌をあげ
るだけの印象しかない人と・・・


穏やかな渚からのビーチダイブで、お魚さんたちと珊瑚の海を満喫した人と
ではその後のダイビング人生において大きな差ができてしまうように・・・


一度プログラミングの快感を味わってしまった人間は、その快感を忘れるこ
とができなくなるという感じでしょうか。


話がそれてしまいましたが、米GEのTSSサービスを提供していた会社という
のは、現在のiSiD(電通国際情報サービス)でした。


ところが、このTSSサービスはひどく高いものでありまして、すぐに一ヶ月
100万円なんて一人で使っちゃうわけですね。今から考えるともう恐ろし
いの一言ですが、やはり昔は良かったとしか言い様がありません。


この話に関しては、高すぎる課金をどのようにすれば安く済ますことができ
るか。その方法はなんとサービス提供会社のスタッフによってもたらされた
んだなどなど、話が尽きることがありません。


なんてったって、私のプログラミング人生そしてその後の人生においても、
いつも力を与えてくれる友人たちを得ることになったのですから・・・